ぼくらのユートピアは無いのかもしれない

ユートピアはまぼろしだった

かっこ悪い自分が好き

ある時から僕は人前でCOOLでなければいけないと思うようになってしまっていて、その状態から抜け出せないでいた。

一挙動、一挙動、自分の中での”COOL"を追い求めていった結果、悪い意味でのナルシストが出来上がっていった。

 

そういう挙動を一つするたびに少しずつ自己嫌悪の塵が心の中に積もっていっていくことを感じていたがそれに気づけないでいた。

あるいは気づいていたが、気づかないふりをしていた。

 

 

ある日、ナンパの講師が僕に言った

「僕は”惨めな僕を見てください”といった気持ちで女の子に声をかけている」

ナンパ(恋愛)を教える人が主人公として出てくるとある映画で、主人公が「あなたの本質は何?」と聞かれた時に答えた

「惨めさ」

 

という二つの言葉が頭の中に常にあって、その言葉から伝わってくる感覚は僕の心のどこかを震わせていたがそれがどこなのかわからず自己イメージを高く保つためにいつも他人を見下し過ごしていた。

 

そして今日、電車の中で自分がふとある動作をした際自分に「今、かっこつけなかったか?」と問いかけた時、何か急に僕の中で震えていたものの輪郭が見え始め

 

「あ、僕はかっこ悪い自分が好きなんだな」

 

と感じた。

それはなかなか解けない知恵の輪が解けたような感覚だった。

 

 

この文章を書いている僕は、こうやって気づけた自分すごいだろと誰かに知って欲しいといった、”悪いナルシズム”の中に未だにいるのかもしれないしそれはわからない

しかし、何かに気づけた時それを文章にぶつけておくことで何か自分が変わるきっかけにしたいと思って、その瞬間の感覚を今ここで文にしている。